ARGO(アルゴ)計画

佐伯理郎

1. ARGO計画とは

全世界の海洋の状況(水温、塩分、海流の分布など)をリアルタイムで監視することは、海洋を対象に研究や業務を進める者にとって、長年の夢でした。大気を対象としている気象人にとっては、国際協力や、気象測器の近代化に伴い、全世界の天気図が50年以上も前から手に入れられるようになり、これをもとに数値予報の実施が可能となっていました。これは、地上における気象観測や、現在約900点ある高層気象観測点の毎日2回のラジオゾンデによる高層気象観測の結果が、地上天気図や高層天気図の作成を可能にしたもので、これらの解析結果を数値予報の初期値として使うことにより、数値予報が可能になったわけです。

これと同じように、海水中の水温や塩分の観測データをオペレーショナルに入手できるようになれば、海洋関係者の長年の夢であった海洋の中の天気図を作成し、それをもとに全世界の海洋の数値予報も可能になるわけです。この長年の夢を可能にする第一歩として、ARGO計画が推進されようとしています。

ARGO計画は、国際的な枠組みの中で、中層フロート(浮き沈みする長さ約1mの筒状の計測機器:次節参照)を全世界の海洋に約3000個展開し、中層循環、表層から中層までの水温・塩分を観測しようというもので、得られたデータをもとに、

@ 全球にわたる海洋表・中層(0〜2000m)の水温・塩分のリアルタイム監視
A 衛星の海面高度データを併せて解析することによる海洋表・中層の循環の診断
B 数値海洋モデル(予測モデルや同化モデル)の初期条件や束縛条件の付与

などを行うことを目的としています。これらの目的を達成するとともに、海洋モデルや大気海洋結合モデルの高度化が図られ、長期予報などの精度の向上が期待されます。

ARGO計画という名前は、上記Aに由来しています。Argoは、ギリシャ神話に登場する英雄Jasonがその仲間とともに、Golden Fleece(黄金の羊毛)を捜し求めるために乗った船の名前です。現在、レーダー高度計を搭載したTOPEX/Poseidonという衛星により海面の凸凹が観測されていますが、その後継機として計画されている衛星の名前をJasonと言い、宇宙から観測を行うJasonに対して、海中の観測を行うこのシステムをArgoと名づけました。衛星Jasonは、海面の高度を全世界の海洋について観測しますが、Jasonからの海面高度のデータをARGO計画から得られる海洋表・中層の水温・塩分データと併せて利用することにより、海洋表・中層の水温・塩分の鉛直分布を精度良く推定することができ、全世界の海洋表・中層の水温・塩分のマッピング及び循環の診断が可能となり、上記の目的を達成することができます。

2. 中層フロート

現在実用化されている水温・塩分鉛直プロファイル測定フロート(中層フロート)は、PALACE(Profiling Autonomous LAgrangian Circulation Explorer)と呼ばれるものが主流で、広範囲で定期的な海面から深さ数百〜約2000mまでの水温・塩分の観測を可能にしました。フロートは前もって決められた深さを漂流するよう油圧ポンプを使って浮力の大きさを調節しておきます(図1)。

図1:中層フロートの概観

フロートは、あらかじめ決めた時間間隔で、海面に上昇します。この時、決められた深さから海面までの水温と塩分の鉛直プロファイルを測定し、海面で、極軌道気象衛星NOAAを経由して、データを伝送します(図2)。

図2:中層フロートによる海洋表・中層の観測

この衛星通信システムはARGOS(アルゴス)システムと呼ばれていますが、衛星が4個しかなく、また、伝送速度も遅いため送信すべきデータを全て確実に伝送するためには、フロートの上空にこの衛星が何回もやってくるのを待つ必要があります。そのため、約1日間海面に漂流してデータを送信し、それから再び海中の決められた深さまで沈んでいきます。フロートの寿命はそのバッテリー容量と浮上の頻度に依存しますが、ARGO計画を国際的に企画・策定しているARGO科学チームは、深さ2000mまでの観測を時間間隔1〜2週間で行うことを推奨しており、この場合の寿命は約4年間です。この中層フロートを全世界の海洋に3000個展開し、常時、世界の海洋から水温・塩分のデータを収集しようとしています。10日に1度観測すると、毎日300のプロファイルが得られることになります。

図3:中層フロートの軌跡の例(1999年5月3日投入、水深1500m、点は10日毎の位置で星印が最新(2000年1月17日)の位置)

図3と図4はそれぞれ、ARGO計画とは別に、北太平洋の亜寒帯循環に関する調査のため、気象庁が日本の東方海域に放流した中層フロートの軌跡と水温・塩分そしてそれらから計算される密度の鉛直プロファイルの1例を示しています。この例では、中層フロートは約1500mの深さに、また浮上する間隔は10日間、そして観測データは、水温・塩分それぞれ43〜44点分の深さについて伝送するようセットされています。

図4:中層フロートによる水温(℃)・塩分(千分率)データの圧力(デシバー ル)に対するプロファイルの観測例(0〜1000デシバール(約1000m)、2000年 1月17日、北緯42.816度、東経158.039度)。計算された密度(σt=(ρ−1) ×1000)も図示。σt=27はρ=1.027g/cm3を表わす。

さらに、PALACEフロートを改良したAPEX(Autonomous Profiling EXplorer)と呼ばれるフロートも実用化されています。このフロートの特徴は、漂流する深さの設定がPALACEフロートのように1層ではなく、2層にできることです。この機能により、通常は浅い設定層を流れ、浮上前に深い設定層(最大2000m)まで沈み、そこから海面までの水温・塩分プロファイルを観測することができます。

3. データの収集・解析・提供

浮上した中層フロートは、観測したデータを極軌道衛星NOAA経由で地上に伝送するため、約1日間海上を漂流します。これらのデータをフランスにあるサービサービスARGOS社が受信し、フロートの運用者にEメールなどを使って送付します。現在、ARGO計画とは別の目的で中層フロートを運用している機関(日本では、気象庁のほか、気象研究所、東京大学海洋研究所など)は、やはりEメールを使 ってそのデータを気象庁に送付し、気象庁では、国際気象通報式に従ったフォーマットに整形した上、全球気象通信網(GTS)に入力しています。

また、米国では、海洋大気庁(NOAA)の大西洋海洋気象研究所(AOML)が気象庁と同様にGTSに入力したり、ウェブサイトにデータを公開し、インターネットにより簡単にデータを入手できるようにしています。GTSにデータが入力されることにより、世界の気象機関では、ほぼリアルタイムで利用できる体制になっています。現在の中層フロートからのデータフローを図5に示しました。

図5:現在の中層フロートデータの流通

ARGO計画では、これらのデータは、世界の気象や海洋の現業機関で、海洋データ同化などに活用することなどが計画されています。

4. 技術的な課題

米国で開発された中層フロートは、現在も海洋の研究や海況の監視などに活用されていますが、技術的に、まだ改良されなければならない点もいくつか残っています。

塩分データ

塩分は、海水の電気伝導度を計測することによって、0.01の精度で観測することが求められています。現在電気伝導度は、電磁誘導方式、あるいは電極方式で測定されています。しかし、長期間にわたり海水中に置かれるため、生物活動による汚れの付着などにより、徐々にセンサーの精度が悪化します。安定的に塩分データを取得するためには、センサーの汚れを避けるための措置、例えば、生物活動の盛んな表面海水中に漂流する時間を短くして、できるだけ汚れを避けるような工夫が必要となっています。

データ通信

衛星を経由して送信されるデータ量は、1観測あたり2キロバイトと見積もられています。これは、表層の0〜500mでは2m間隔で、中層の500〜2000mでは5m間隔で、水温・塩分とも0.001までの単位のデータを要求した場合のデータ量です。つまり、深さ方向には550点のデータを送ることになります。しかし、現在は、気象庁の亜寒帯循環の調査で示したように、45点程度ですから1桁以上の増加になります。現在のARGOSシステムでは、上空に衛星が飛来した時でないと通信できず、また、通信速度も遅いので、フロートは海面に長く滞在しなくてはなりません。このため、塩分センサーなどに汚れが付着したり、フロートが海面流に流されて、海面よりもずっと弱い中層の海流を精度良く評価することができなくなります。また、無駄な通信が多くなり、バッテリーを消費する結果ともなります。このため、通信速度の高速化や、常時通信可能な方式に変える必要があります。現在、通信速度を高速化させた改良型ARGOSシステムのNOAA衛星への搭載が始まっています。また、ORBCOMM(オーブコム)と呼ばれる低軌道周回衛星通信システムでも通信可能なので、このシステムを塔載した中層フロートの実証試験などが行われています。これらにより、海面での滞在時間をわずか30分に短縮することができるようになります。

中層フロートの展開

ARGO計画では、全世界の海に緯経度3度毎を目安として3千個展開することとしていますが、広大な海洋に3千個ものフロートを展開するためには、観測船ばかりでなく、一般商船や航空機などを使い、効率的にフロートの展開を進めることが不可欠となってきます。そのため、船が止まらなくても、また、飛行機からパラシュートなどを付けて海に落としても、安全・確実にフロートが作動するような投入システムを作ることも必要です。

このほか、中層フロートの寿命を延ばすための工夫なども求められています。色々な技術的な課題がありますが、関係各国・各機関でこれらの課題を克服するための努力が始まっています。

5. ミレニアム・プロジェクト

我が国では、新しいミレニアム(千年紀)の始まりを目前に控え、人類の直面する課題に応え、新しい産業を生み出す大胆な技術革新に取り組むこととし、小渕前首相の決断によりミレニアム・プロジェクトを実施することとなりました。このプロジェクトは、夢と活力に満ちた次の世紀を迎えるために、重要性や緊急性の高い情報化、高齢化、環境対応の三つの分野について、技術革新を中心とした産学官共同プロジェクトを構築し、明るい未来を切り拓く核を作り上げるというものです。

事業内容の構築にあたっては、明確な実現目標の設定、複数年度にわたる実施のための年次計画の明示や、有識者による評価・助言体制の確立を図るといった新たな試みを取り入れることになっています。 このミレニアム・プロジェクトの実効ある推進を図るため、2000年度においては、政府予算全体で1,206億円が配分されています。

このミレニアム・プロジェクトの環境対応分野のうち「地球温暖化防止のための次世代技術の開発・導入」のプロジェクトの一つとして、我が国が国際的なARGO計画に参加するための「高度海洋監視システム(ARGO計画)の構築」と名づけられたプロジェクトが実施されることとなりました。

このプロジェクトは、国際的なARGO計画と連携・協力しながら、2004年度までに、地球規模の高度海洋監視システムを構築し、長期予報の精度を飛躍的に向上させることを目標としています。

このプロジェクトの実施機関は、気象庁のほか、海上保安庁水路部、科学技術庁/海洋科学技術センター(地球観測フロンティア研究システムを含む)です。このプロジェクトは、大きく2つのフェーズに分けられます。前半のフェーズである2000年度〜2001年度前半においては、中層フロートの本格的な展開に先立ち必要となる各種技術の確立や準備として、次の5項目の事業を行うこととしています。

これらの活動のため、2000年度には約10億円の予算が計上されています。

後半の2001年度後半〜2004年度には、次の4つの活動を計画しています。

高精度の長期予報を実現するという目的のため、我が国は北西太平洋及びその近隣海域(インド洋等)を中心にフロートを展開する計画であり、2000年度はフロートの性能試験などを目的として、20個程度のフロートを展開することとしています。計画の年次計画を図6に示しました。

図6:ミレニアム・プロジェクトの年次計画

気象庁は、この計画のうち、フロートデータを収集・解析・提供するシステムの整備・運用、フロートデータを検証する観測システムの整備・運用、そして、海水温予測モデルの高度化を実施することとしています。

気象庁が整備する収集・解析・提供システムにおいては、本プロジェクトで展開された中層フロートからのデータばかりでなく、全球からの海洋データ(中層フロート、ブイ、観測船、商船からの観測データなどGTSなどを通じてリアルタイムで収集されるデータ)を含む大量のデータをインターネットを通じて現業機関、研究機関に提供するとともに、本プロジェクトの中層フロートデータをGTSにより全世界の気象機関にリアルタイムで通報する計画にしています。

6. おわりに

ミレニアム・プロジェクトあるいは国際的なARGO計画による中層フロートから供給される水温・塩分のデータは、海の中の天気図を描くとともに、海洋の数値モデルを動かし、海洋データ同化を可能にします。そして、海洋の振る舞いが大きな影響を与える長期予報の精度の向上につながることが期待されます。

ARGO計画はようやくスタートラインに立ったばかりで、ARGO計画に係わる中層フロートの展開などについて予算措置が講じられた国は、米国と日本をはじめまだわずかな国にしか過ぎません。ARGO計画の成功のためには、国際協力が不可欠であることは言うまでもありません。このため、運輸省(気象庁、海上保安庁を含む)、科学技術庁及び米国のNOAAが主催して「太平洋とその周辺海域におけるアルゴ計画推進のための国際会議」を本年4月13〜14日に運輸省において開催しました。環太平洋の6か国(日本、米国、オーストラリア、カナダ、フランス、韓国)と世界気象機関(WMO)、ユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)、北太平洋の海洋科学に関する機関(PICES)など国際機関の代表が参加し、参加各国のARGO計画への取り組みの現状についての報告などがあり、

などが確認されました。

今後は、大西洋やインド洋を対象とした同様の会議が開かれる予定です。このような国際協力を進展させ、ARGO計画の大きな目標を1日も早く実現したいものです。

(M.Saiki 気象庁海洋課)


日本気象協会発行の「気象」 No.519(2000年7月)より転載