災害をもたらした気象事例

昭和39年7月山陰北陸豪雨
昭和39年(1964年) 7月18日~7月19日
日降水量200mmを超える集中豪雨。出雲地方で大被害。
死者114名、行方不明者18名、負傷者221名
住家全壊669棟
床上浸水9,360棟、床下浸水48,616棟など
(消防白書より)
概要
 7月になって山陰地方と北陸地方では、梅雨前線により度々日降水量が100~200mmの大雨に見舞われ、被害が発生していた。 そこへ記録的な大雨が降り、大きな被害が発生した。
 台風第7号から変わった熱帯低気圧は、17日午後にチェジュ島付近で消滅したが、日本付近には高温多湿な南西気流が流入し、大気の状態が不安定となっていた。 18日には前線を伴った低気圧が、日本海中部から秋田沖に進んだ。 18日夜から19日にかけては別の低気圧が山陰沖を進んだ。 このため島根県東部から鳥取県西部にかけてと、石川県、富山県では18日の日降水量が200mmを超え、松江や金沢では12時間で200mmに達する大雨となった。これらの地方では山がけ崩れや河川の氾濫が多く発生した。 特に島根県では出雲市を中心に多数の山・がけ崩れが発生し、100名を超える死者が出た。 また、新潟県では降水量はあまり多くはなかったが、6月に新潟地震が発生した後であり、大きな被害となった。
 気象庁は、7月18日から19日の大雨を「昭和39年7月山陰北陸豪雨」と命名した。
天気図

天気図 7月18日09時
期間降水量
降水量時系列図(金沢)
降水量時系列図(松江)
期間内での観測値
気象官署での観測値
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