貧酸素化
海水中には酸素が溶けていて(溶存酸素)、海洋に生息する多くの生物の生命活動を支えています。また、酸素は生物活動を通して、海洋の物質循環と深く関わっており、その変動を理解する上で重要な成分です。
現在、外洋域の広い範囲で溶存酸素量が長期的に減少しています。この現象は貧酸素化(deoxygenation)と呼ばれ、地球温暖化が原因と考えられています(IPCC, 2019)。また、貧酸素化に伴い、酸素極小層が拡大しつつあります。
貧酸素化は、水温上昇や海洋酸性化と共に、気候変動が引き起こす海洋生態系へ影響を与える三大ストレスに挙げられており、海洋の生態系への影響が懸念されています。沿岸域では、人間活動の直接的な影響も加わり、貧酸素化が深刻化しているケースも見られます。貧酸素化の現状把握と将来予測は、海洋生態系への影響評価だけでなく、水産資源の管理や海洋環境保全の面からも重要です。
貧酸素化のメカニズム
外洋域では、貧酸素化の要因として、次の2つが挙げられています。
1つ目の要因は、「溶解度の低下」です(図1-①)。海面付近では、大気-海洋間のガス交換のバランスによって、溶存酸素量は大気との飽和濃度近くに保たれています。大気中には酸素分子が大量に存在し、その変化量は海洋に比べて無視できるため、表層の溶存酸素量は酸素の海水への溶解度によってほぼ決まります。溶解度は主に水温よって決まり、水温が上昇すれば低下します。つまり、地球温暖化によって水温が上昇すれば、溶解度が低下するため、溶存酸素量は減少することになります。
2つ目の要因は、「成層の強化」です(図1-②)。混合層以深の溶存酸素量の分布は、有機物の分解による酸素の消費、海洋の循環や混合による海水の再分配に依存し、両者のバランスによって決まります。水温が上昇して成層が強化される(上層と下層で密度差が大きくなる)と、混合層とそれ以深で海水交換が起こりにくくなります。酸素を豊富に含んだ表層付近の海水が下層に送り込まれる作用をベンチレーション(換気)と言います。成層が強くなればベンチレーションが弱まるため、結果として混合層以深では溶存酸素量は減少します。別の言い方をすれば、成層が強くなると酸素を豊富に含んだ”新鮮な”海水が下層に供給されにくくなるため、混合層以深の海水が相対的に“古く”なります。その結果、混合層以深では有機物分解に伴う酸素消費が時間と共に累積し、溶存酸素量が減少するのです。今後、地球温暖化によって水温が上昇すると、成層が強くなると予測されており、成層の強化による貧酸素化は今後も進行すると考えられています。
このように、貧酸素化はこの2つの要因によってコントロールされていますが、どちらも水温上昇が主な原因です。このため、貧酸素化は、地球温暖化に伴って進行していくと考えられています。貧酸素化は、水温上昇や海洋酸性化と同じく、地球温暖化によって引き起こされた問題の一つと言えます。
図1 外洋域における貧酸素化メカニズムの模式図
貧酸素化の現状
貧酸素化は、少なくとも20世紀中頃から、外洋域や沿岸域で見られています。これは、これまで長年行われてきた海洋観測データの蓄積から、明らかになってきたものです。
Schmidtko et al. (2017) によると、1960年以降の約50年間で、外洋域の海水全体に含まれる溶存酸素量のうち、約2%が減少したと報告されています。この減少のうち、水温上昇が直接的に影響する「溶解度の低下」による溶存酸素量の減少は、海面から深度1000mでは約50%と支配的ですが、海洋全体でみると15%程度に過ぎません。つまり、海洋全体でみると、貧酸素化の主要因は、「成層の強化」に伴うベンチレーションの低下であることを示しています。「成層の強化」が貧酸素化の主要因であることは、モデルによる解析でも裏付けられています。
図2 1960~2010年における10年あたりの海洋における溶存酸素量の変化(IPCC(2019)のFigure 5.9を転載)
(上図)海面から深度1200m、(下図)1200mから海底までの10年あたりの溶存酸素量の変化を示す。単位は、µmol/kg/10年。地図上の線は、水塊内のどこかに溶存酸素量80µmol/kg未満(一点鎖線)、40µmol/kg(破線)、20µmol/kg(実線)の酸素極小層がある海域の境界を示す。
海域別に見ると、北太平洋は溶存酸素量の減少が顕著な海域の一つとなっています(図2)。気象庁による海洋観測でも、西部北太平洋の東経137度および東経165度の広い範囲と親潮域で溶存酸素量が減少していることが明らかになっています(Takatani et al., 2012; Sasano et al., 2015; Sasano et al., 2018)。特に、東経137度および東経165度の亜熱帯域と親潮域では、広い深度にわたり、溶存酸素量の減少が見られています(海洋中の溶存酸素量の長期変化傾向(日本南方および親潮域)では亜熱帯域(東経137度線)および親潮域での海面から深度1000mまでの溶存酸素量を見積もっています)。
深度毎に見ると、東経137度線では500~700m付近の中層で顕著に溶存酸素量が減少しています(図3)。この中層の水塊は北太平洋中層水と呼ばれ、親潮と黒潮を起源に持つと考えられています。中層の顕著な溶存酸素量の減少は中層水の形成域にあたる親潮域における変化を反映したものと推定されています(Sasano et al., 2018)。実際に、親潮域でもその起源付近に相当すると考えられる200~300m付近の表層で顕著に溶存酸素量が減少しています(図4)。
図3 等密度面上の溶存酸素量の長期変化傾向(東経137度における北緯20度、北緯25度、および北緯30度)
直線は95%信頼区間で有意な長期変化を示す。灰色の領域は、酸素極小層の目安とした70µmol/kg以下を示す。等深度面上の変動は海水の上下動による場の影響を大きく受けるため、その影響を受けない等ポテンシャル密度面上で長期変化の計算を行った。ポテンシャル密度には、200m毎の深度における全期間の平均値を用いた。
図4 等密度面上の溶存酸素量の長期変化傾向(親潮域)
直線は95%信頼区間で有意な長期変化を示す。灰色の領域は、酸素極小層の目安とした70µmol/kg以下を示す。等深度面上の変動は海水の上下動による場の影響を大きく受けるため、その影響を受けない等ポテンシャル密度面上で長期変化の計算を行った。ポテンシャル密度には、200m毎の深度における全期間の平均値を用いた。
内湾や沿岸域における貧酸素化
内湾や沿岸域における貧酸素化のメカニズムは、外洋域と異なります。また、こういった海域は生物多様性が高く、生物量が豊かであり、人間活動と密着にかかわっています。このため、内湾や沿岸域における貧酸素化は人間活動に大きな影響を与える可能性があります。
日本では、東京湾や大阪湾などの内湾で、貧酸素水塊による海洋生物の大量死が問題になる事があります。これは、人為的な富栄養化(河川を通じた農業用水や下水の流入による)が主な原因です(IPCC, 2021)。過剰量の窒素やリンなどの栄養塩が海水に付加されると、植物プランクトンなどの藻類が異常繁殖します。やがて海底付近に沈降・堆積した大量の有機物は分解され、海水中の溶存酸素は著しく消費されます。さらに、外部との海水の交換が少ない閉鎖的な内湾では、酸素を多く含んだ海水が供給されにくいため貧酸素化が進み、さらには無酸素状態になる可能性もあります。これが、沿岸域における貧酸素化の主な原因です。また、外洋域と同様、水温上昇によって成層が強まり、ベンチレーションが低下していることも、貧酸素化が進んでいる一因です。日本東岸でも中深層の溶存酸素量の低下によってマダラが生息可能な深度が浅くなっていることを示す報告があり(小埜ほか, 2011)、将来的に貧酸素化の影響が内湾以外の海域でも現れる可能性があります。
参考文献
- IPCC, 2019: IPCC Special Report on the Ocean and Cryosphere in a Changing Climate [H.-O. Portner, D.C. Roberts, V. Masson-Delmotte, P. Zhai, M. Tignor, E. Poloczanska, K. Mintenbeck, A. Alegria, M. Nicolai, A. Okem, J. PetZold, B. Rama, N.M. Weyer (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, United Kingdom and New York, NY, USA, 755 pp, https://doi.org/10.1017/9781009157964.
- IPCC, 2021: Climate Change 2021: The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Masson-Delmotte, V., P. Zhai, A. Pirani, S.L. Connors, C. Péan, S. Berger, N. Caud, Y. Chen, L. Goldfarb, M.I. Gomis, M. Huang, K. Leitzell, E. Lonnoy, J.B.R. Matthews, T.K. Maycock, T. Waterfield, O. Yelekçi, R Yu, and B. Zhou (eds.)]. Cambridge University Press, Cambridge, United Kingdom and New York, NY, USA, doi:10.1017/9781009157896.
- Sasano, D., Y. Takatani, N. Kosugi, T. Nakano, T. Midorikawa, and M. Ishii, 2015: Multidecadal trends of oxygen and their controlling factors in the western North Pacific. Global Biogeochemical Cycles, 29, 935–956, https://doi.org/10.1002/2014GB005065.
- Sasano, D., T. Takatani, N. Kosugi, T. Nakano, T. Midorikawa, and M. Ishii, 2018: Decline and bidecadal oscillations of dissolved oxygen in the Oyashio region and their propagation to the western North Pacific. Global Biogeochemical Cycles, 32, 909–931, https://doi.org/10.1029/2017GB005876.
- Schmidtko, S., L. Stramma, and M. Visbeck, 2017: Decline in global oceanic oxygen content during the past five decades. Nature, 542(7641), 335–339, doi:10.1038/nature21399.
- Takatani, Y., D. Sasano, T. Nakano, T. Midorikawa, and M. Ishii, 2012: Decrease of dissolved oxygen after the mid-1980s in the western North Pacific subtropical gyre along the 137°E repeat section. Global Biogeochemical Cycles, 26, GB2013, https://doi.org/10.1029/2011GB004227.
- 小埜恒夫, 北川大二, 伊藤正木, 服部努, 成松庸二, 2011: 東北-北海道沖の大陸棚斜面における溶存酸素量の減少と底魚類の分布に対する影響. 東北底魚研究 31, 93-98.